ただのサラリーMANさんの独り言

脳内に溜まったログをダンプしていくう

価値を正しく評価してくれる環境を見つけることの大切さ

「お前はいらない」「お前は必要」

30代半ばをそろそろ迎える間に、いろんな環境で暗に「お前は不要」、明に「お前は必要」と言われた。 一例として、以下のものが挙げられる。

  • 中学時代の部活:暗に不要
  • 中学時代のクラス:明に必要
  • 高校時代の部活:明に必要
  • 社会人:暗と明を交互に不要と必要

劇的な改善があったとは考えにくいので、本当に環境依存で必要・不要が分かれていたのだと思わずにはいれない。

絶対的な尺度は存在しない

よくある考え方として価値観、そして単純なレベルの話がある。 サッカーで例えると、カウンターとポゼッションが価値観、J1とJ2がレベルに位置づけられる。

個人の趣味趣向で価値観は変わるし、遺伝や環境などでレベルも変わる。 そう考えると、ある世界で不要と言われたからといって、悲観的になる必要はないと思う。

客観的に自分を捉えてみる

社会人になって私は苦悩の数年間を歩んだ。 どう考えても社会的価値があって、相対的に高身長・高学歴・高収入であるにも関わらず、会社と女性から「お前は不要」のレッテルを貼られ続けた。

一方で私は日本人であり、日本育ちである。 人のせいにするな、環境のせいにするなという自責の念を刷り込まれてしまったことが、苦悩を加速させた。

その全てが嘘(環境依存であったこと)であったことは、数年のときを要した。 しかし、最初に考えてた客観的な自分の価値を信じたことで、未来は開けた(会社と女性から「お前は必要」のレッテルを貼られるようになった)。

自分で正しい場所を見つける

どの世界を見ても、常に誰にでも求められる人は存在しないように見える。 当然求められやすい人と求められにくい人はいるが、環境を変えるとまったく違う評価になる。

サッカーが好きなのでサッカーで例えると、私はリケルメやガンソのようなクラシカルなトップ下が好きである。 彼らは一定の評価を得つつも、世界的に有名になるにはいたらなかった(リケルメに関してはヨーロッパでも十分活躍したが) 彼らには、ボカ・ジュニアーズやサントス・サンパウロなど活躍できる場所が別にあっただけである。

環境だけでなく、時代が全世界的な価値を決める世の中。 その中で、自分が活躍できる世界を見つけることが、これからも求められるのではないだろうか。

P.S.

そういえば、私は「顔が嫌だから」と理由でフラれたことと、「顔が良いから」という理由でOKされたことがある(どちらが多いかは言わない)。 これは一般的によくあることなのだろうか。 当時は理解できなかったが、まさに自分を正しく評価してくれる環境こそ大切にすべき一例なのではないだろうか。