入社1年目くらいまで
昔からビールが好きで、かつ発泡酒は美味しくない(というかそもそもビールではない)のでエビスやアサヒを飲んでいることを公言していたら、周りに「ヒンシュクを買うから、そういうことは言わないほうがいい」と言われてきた。 無用な常識には無意識に反発していた私は、この件についても心の中で反発していた。
確かに発泡酒よりはビールのほうが高いがたかが知れている。 この話を突き詰めると、「嗜好品を嗜むことはヒンシュクを買うから、そういうことは言わないほうがいい」ということになると考えていた。
投資思考
30代なかばに入ろうとしている現在も、この思考は変わらない。 というか、エビスやアサヒという大量生産のビールには興味がないので、個性豊かなクラフトビールしか飲まないようになった。
これを継続できるようになった要因の1つとして、投資思考があると考えている。 ビールによらず、常により良いものを探求して、課金できる限り課金するのだ。
課金して学びや興味がなければ撤退する。 すなわち、課金をやめる。 逆に、学びや興味がでればどんどん課金していく。
世の中 or 自分
いまだにわからないことは、この投資思考によって世の中全体がよくなったのか、自分だけがよくなったのかということ。 経済的に発展し続けている世の中においては、全体がよくなったから恩恵を受けているだけの可能性も大いにある。
世の中がよくなっただけであれば、前述の「投資思考」については忘れてもらって、このままブラウザを閉じてもらいたい。 一方で、自分だけがよくなったのであれば、「投資思考」に則って課金する生活を歩んでもらいたい。
貧乏思考になりたくない
自由かつ豊かになりたいのであれば、そのような思考や行動を取らないといけない。 これは昔から言われていることであるが、思考は現実になる。
貧乏思考と行動は個人だけでなく、日本をだめにしているのではと思う。 ブランド品を見せびらかす生活がいいかはわからないが、自分がやりたいことに課金して楽しい生活を送ることは悪くはないのではないだろうか。 その課金が誰かの収入となり、その次の課金となる。
最近、ダボスマンという本を読んで友人に共有したあとにこの件の話をしたら、「ダボス・ダボス」と煽られた。 今後煽られたら、「私がダボスマンであるかはわからないが、みんなが課金しなくなったらつまらない世の中になるよ」と言ってあげたい。